ホーム > 教師紹介
ホーム > 教師紹介
- 名門「佐鳴予備校」にて
理事長佐藤イサク氏の直接の弟子となる。
・静岡県磐田市本部長・富士市本部長・
名古屋市本部長・全三河地区広域統括本部長
を経て、「ニュースクールエックス
(旧岡崎進学ゼミナール)」を創設
※旧岡崎進学ゼミナール創設時のものです。初心を大切に教師道を邁進しています。
- 「やればできる」それは、体験が教えてくれた。
-
みなさん、こんにちは、岡崎進学ゼミナールを開設した田中康治(たなかこうじ)です。
出身は富山県です。田中という名字の由来であろうかと思いますが、家の周りは全て田んぼでした、小学生時代には普段は川でザリガニなどを取って遊び、ゴールデンウィークには田植えの手伝い、秋になると米の豊作を祝うための獅子舞に参加していました。また、すぐ近くの親戚は、「養豚場」であったため、幼少時代には豚のいる柵の中で豚と格闘した覚えがそこはかとなくあります。
緑に囲まれていたせいか、家族一同、自然が大好きです。父は定年後に手掛けた「花と緑の街づくり」で平成19年に「日本一」になりました。私も、いつかは、地域に花と緑を増やすボランティアをやるつもりです。
亡くなった祖父は、農家であり、また同時に「越中富山の薬売り」であったため、私は市販の薬を飲んだ覚えがありません。常に「熊の胆」や「六神丸」など越中富山ならではの薬を体調不良の際に服用していました。多くの場合、効果てきめんでしたが、高校時代、食中毒になり、薬もまったく効かず入院したことがあります。その時は、入院に飽きて、夜中に病院を抜け出して、歩いて家に帰りました。すぐに呼び戻され、病院で婦長さんに、1時間こってりと説教して頂いた思い出もあります。恥ずかしながら・・・。
一番好きな時間は、体育の時間でしたが、運動神経は悪いほうでした。小学校時代は隣町との野球大会でピッチャーをつとめ、22対2でコールド負けをしました。球技大会などでも活躍した記憶はまったくありません。小学校水泳大会でも、参加選手中ぶっちぎりのビリだったことを鮮明に覚えています。しかし、中学校で出会った恩師が素晴らしい方で、こう教えてくださいました。「勝つまでやれば必ず勝つ。負けを認めない限り負けない。お前なら必ずやれる。やってみろ。」恩師のその言葉を信じ、熱血青春スポーツ漫画さながらの努力と根性だけで頑張りました。その結果、中学ではバドミントン(北陸4県大会3位)。高校ではテニス(県大会ベスト8)。大学ではスキー(北陸4県大会5位)という成績を残すことができました。この経験は私に「やればできるって本当だったんだ。」と強く信じさせてくれるかけがえのないものとなりました。
- 佐鳴予備校のDNAをしっかり継承する。
目の前の生徒のために。 - 小学校教諭の父と中学校教諭の母の影響で、いつの間にか、「教師を天職」と考えるようになっていました。地元には、近所に塾というものがまったくなく、私自身は通ったことがありませんでした。しかし、これからの教育は私塾の時代だと思い、「日本一の塾」と呼ばれる佐鳴予備校で自らを磨こうと、当時静岡県浜松市に本社のあった佐鳴予備校(平成5年当時は佐鳴学院)に入社しました。教育は、私のような凡人には、すぐに上手くいくはずもありません。一生懸命に授業はするものの、「生徒のための本物の教師像」にははるかに遠く、試行錯誤の連続だったように思います。
その後、静岡県磐田市本部長、富士市本部長、愛知県名古屋市本部長、さらには岡崎市から豊橋市まで、全三河地区の広域統括本部長として、責任を持って生徒指導にあたり、平成23年岡崎市において、『岡崎進学ゼミナール』を創設することとなりました。佐鳴予備校、すなわち、佐藤イサク氏のDNAを、しっかりと継承し、目の前の生徒のために、心を込めて指導することをここにお約束します。
※旧岡崎進学ゼミナール創設時に、人生の師匠から頂いた宝物です。教えを大切に生徒を導き続けています。
- あきらめずに突き進めば、必ず夢はかなう!
田中なら、生徒に心から言える。 - 私が直接指導した弟子である田中が、サナル予備校から独立し、岡崎進学ゼミナールを開きました。早いもので、彼がサナル予備校に入社して長い年月が流れました。その間、生徒と一緒になって、努力し、笑い、涙も流してきた田中は「塾教師」として一人前に成長したと思います。
数多くの大きな失敗をし、それを乗り越えてきた彼だからこそ、生徒に対して、「夢に向かって挑戦しよう!あきらめずに突き進めば、必ず夢はかなう!」と心から言えるのだと思います。
- 生徒と共に一喜一憂している姿は、草創期のサナルそのもの。
- 田中は、時折、電話をかけてきて生徒の話を私に伝えます。その話からは「生徒とともに一喜一憂している」姿が手に取るようにわかります。
振り返れば、私が静岡県浜松の地で佐鳴予備校の前身である「サトウ塾」を継いだ当初は、生徒も二十人ほどの小さな塾でした。今のサナル予備校のように、他を圧倒する進学実績もブランドもないかわりに、毎日目の前の生徒に対してひたむきに頑張る教師がいる塾。それが佐鳴予備校の出発点でした。生徒の学力・人間力の向上に必死になって日々を過ごすうちに、生徒の中から何人ものヒーロー、ヒロインがうまれました。その結果、生徒が集まり、今日の佐鳴予備校となったわけです。
田中が創立した「岡崎進学ゼミナール」は、私、佐藤イサクが推薦する塾です。まさに、「草創期のサナルそのもの」であると信じています。